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福島県「会津木綿」

 
東北の、山深いところにある会津盆地は、
盆地気候がある故に、夏はとても暑く、冬は豪雪でとても寒い。
そんな厳しい気候風土から生み出されたのが「会津木綿」(あいづもめん)です。
 

 
「会津木綿」は、木綿平織の堅牢な織物で、
古くから野良着などとして広く着用されてきました。
 
「会津木綿」は、
経糸を小麦澱粉の液に漬けて固く糊付けし、
横糸を織り込んでいく工程に特徴があり、
糊付けしたことにより、生地によく空気を含むため、
厚みがありふっくらとした質感で、
縮みにくい性質があるため、通常の家庭用洗濯機でのお洗濯が可能。
 
また「会津木綿」は、
汗をよく吸い込む一方、保温性に優れるため、
夏はさらっと涼しく風通しもよく、
冬は体温を保ち、 綿とは思えない暖かさです。
なので、本当に一年中着て頂ける、とても優秀な生地です。
更に最近は、色褪せしにくい染色がされているため、
いつまでも買ったときのままの状態を保つことが出来ます。
 
 
「会津木綿」は、
天生年間(1573~1592)に、時の会津藩主・蒲生氏郷が
城下町の整備と産業振興と綿花の栽培をすすめ、
木綿を織ったのが始まりと言われています。
 
そして寛永4(1627)年、
加藤嘉明(賤ヶ岳の七本槍の一人)が 伊代松山藩から会津藩へ移封した際に、
以前の領国である伊予国松山から織師を招いて技術を伝えたことにより、
「会津木綿」は始まりました。
この当時の伊予国は、瀬戸内交易の影響で、
外国風の木綿の縞織物を特産品としており、
これらの「伊予縞」(いよじま)と呼ばれる織物の技術が、
現在の「会津木綿」の多彩な縞模様の素地となりました。
 

 
寛永20(1643)年に保科正之が藩主となり、
綿花栽培と藩士の妻女へ機織りを奨励して、定着しました。
明治になると、紡糸紡績が発達して、
明治末期から大正にかけて、
力織機の大量生産による会津木綿の最盛期を迎えます。
その頃は30社の織元があったのだそう。
 

 
しかし昭和以降は需要の減少により、
全盛期は30軒ほどあった機屋は、
最近では、福島県会津若松市日吉町の「はらっぱ原山織物工場」と、
同市内七日町の「山田木綿織元」2軒にまで減少して
衰退の一途を辿っていました。
 

 
福島県伝統的工芸品に指定されています。