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大阪府「和晒」

 
 
天然の木綿は、
綿特有の天然不純物や
撚糸の不純物や油などが付着しているため茶色がかって、
更に特有のニオイがあります。
 

 
また綿布を作る時、
そのまま織機にかけると、強度や摩擦耐性の不足により、
綿糸から糸切れや毛羽・毛玉が大量に発生し、
生産性が上がらず良い織物が出来ないので、
経糸に予め「サイジング」と呼ばれる糊付けを行って
強度を補ったり、滑りを良くしたりして織ります。
 
これらの不純物は染色を妨害する(染料をはじく)ため、
不純物を取り除く為の下処理を行わなくてはなりません。
その不純物を落とす工程を一般に
「晒」(さらし)とか「精錬」と言います。
 
 

ワイシャツやTシャツなどの「洋晒」では、
「連続自働精錬機」という機械を用いて、40分程で晒加工品に仕上げます。
しかし、生地を常時圧力をかけた状態で精錬しますので、
木綿の繊維はやや扁平になります。
 
 

 
これに対して「和晒」(わざらし)は、
「和晒釜」という大きな釜に生地を詰めて
緩やかな水流で2~4日ゆっくりと時間をかけて焚き込み、
煮られながら精錬され、水洗いで洗浄していきます。
 
生地にはきついストレスはかかっていないので、
繊維の1本1本の形状が壊れることがなく、
仕上がった木綿の繊維は円形を保っています。
ふわっとソフトな風合いのため肌に優しく、
環境に優しく、日本の風土にあった生地です。
 
江戸時代には、「和晒」は約40日かけて作られていたそうです。
しかし現在、基本的には伝統的な製法で精練が行われているのですが、
約28〜72時間で製造出来るようになりました。
 

 
 
大阪南部の泉州地区は、古くから木綿栽培が盛んでした。
特に江戸時代には、米より収益の良い木綿栽培が増加し、
最盛期には全耕地の40%を占めたと言います。
 

 
明治20年頃、大阪・堺市の毛穴(けな)周辺で
「和晒」の産業が起こりました。
 
この地域は、大消費地と綿生産地との中間に位置し、
「晒」(さらし)に必要な大量の水を供給出来る石津川が流れ、
自然の日光に干すための広い土地という自然条件に恵まれていました。
 
また第2次世界大戦の戦火で、
大阪市内の「注染ゆかた」の染色業界が、
「和晒」の産地である堺に移転してきたことから、
堺は全国で三本の指に入る「注染手拭い」の産地になりました。
 
昭和中期までは、川一杯に純白の布が流され、
河原では天日漂白する光景が見られました。
しかし、ボイラーやポンプの普及や河川の水質低下により、
現在では屋内で作業するようになり、
このような光景は見られなくなりました。
 
現在、堺市の石津川沿いには7軒の和晒工場があり、
この7軒で日本の「和晒」の何と90%以上が生産されています。
江戸時代と変わらず、今も「釜」で炊く和晒加工を行っています。
 

 
 
 

和晒の工程

 
 
1.糊抜き・精練・漂白
  まず原綿を専用釜に入れ、続いて糊抜き剤・精練剤を入れて
  ロウや綿布工程で付着した糊・油など除去します。
 
2.浸透液に浸ける
  注染用の染下晒は染料が染み込みやすいように、
  精錬を2回行ったり、浸透液に浸けたりします。
 
3.脱水
  十分に水洗いされた晒生地を専用の脱水機を使い脱水します。
 
4.乾燥
  現在、和晒の多くは
  「シリンダー」と呼ばれる専用の機械を使って乾燥させます。
  縮みにくい生地の製造は乾燥室で乾燥します。
 
5.熱風乾燥
  80度の乾燥室に、晒生地を竿に吊るして乾燥させます。
  晒生地に圧力が加わらないため、縮みにくい生地になります。