「注染」(ちゅうせん)とは、
読んで字のごとく、
特殊な糊で防染し、何層にも折り重ねた生地に
染料を「注」いで模様部分(柄)を「染」め上げる
伝統的な型染めの一種です。
表と裏を同時に染めるため、長く使い込んでも色褪せしにくいです。
大阪府堺市では、古くから手拭いの産地として知られており、
明治時代に入ると、布地の上に伊勢型紙を置き、糊置きを行い、
その上から染料を注ぎかけて染める
「注染」と呼ばれる独特の技法が大阪で開発され、
一度に20枚から30枚染めることの出来るこの技法が
手拭いの定番となりました。
一枚の布をじゃばら状に重ね合わせて
表からと裏からの二度染めていきますので、
裏表なくきれいに染まるのが特徴です。
注染の魅力は、
- 職人の技が詰まった、ひとつとして同じもののない、
- 手作業だから生まれる希少性
- 糸自体を染めるため、裏表のないきれいな染め表現が可能
- 一度に複数の色を染められるので、
色と色が混じり合う表現(グラデーション)が出来る
明治時代、浴衣(ゆかた)の染めは
「長板染」と呼ばれる藍単色染めが中心でした。
これは「東京本染めゆかた」と呼ばれ、隆盛を誇っていました。
「東京本染ゆかた」に対抗し、
大阪の注染手拭い業者は「注染」と呼ばれる独特の技法を開発し、
染め業界に大変革を起こします。
明治36年に大阪市天王寺区で開催された
『第5回内国勧業博覧会』で入賞し、絶賛され、
大正時代になると、大阪の注染技術者は全国へと招聘され、
その技術指導により、各地で注染ゆかたが生産されるようになりました。
堺が全国で三本の指に入る注染手拭いの産地になったのは、
第2次世界大戦の戦火で、大阪市内の注染業者が
江戸時代から「和晒」の大産地であった堺に移転してきたためです。
注染ゆかたの最盛期となるのは昭和30年代。
国内で1000万反も製造されるほどの人気を博しました。
しかしその後は、浴衣や手拭いは
夏祭りや花火大会などイベント時の使用に限定されるようになり、
注染工場も、現在は10社程に減ってしまいました。
但し、そんな逆境にあっても、
「注染や和晒の良さをアピールし、普及させる」という
スピリッツは変わらず、
古典柄の手拭いの発売、
学生や若手デザイナーとコラボした「堺一心染」の立ち上げ、
平成24(2012)年には
生地・染め・傘の張り付けまで全て大阪製の「手染め注染日傘」発売など、
その魅力を発信し続けています。
なお、「手染め注染日傘」は第1回「大阪製ブランド」の
ロールモデル(優秀優良製品)に認定されています。
また、職人が高齢化しつつあるため、
堺市は「堺注染職人養成道場」を立ち上げて、若手の育成を図っています。
「注染」は
何層にも折り重ねた生地の上に伊勢型紙を置き、糊置きを行い、
その上から染料を「注」いで柄を「染」めるというもの。
注染には多くの工程があり、
全てを職人が手作業で行うので、ひとつとして同じものは存在しません。
職人の手作業だからこそ表現出来る、
繊細で優しいぼかしやにじみの何とも言えない風合いが
注染の一番の魅力と言えます。
1.糊置き
晒し上がりの生地を糊付台の上に敷き、型を生地の上に乗せます。
その上からヘラと呼ばれる道具を使って
防染糊という染料を通さない特殊な糊を 均一に伸ばし付けていきます。
2.注ぎ染め
糊置きされた生地を染め台の上に置き、
防染糊を絞り出して「土手(どて)」と呼ばれる囲いを作ります。
土手からはみ出ないように染料を注ぎ、
下からポンプで吸い取りながら生地を染めていきます。
3.水洗い
染め終わった生地は、水洗い場へ。
型置きで乗せた糊、余分な染料などを洗い流します。
4.立干し(乾燥)
十分に水洗いの終わった生地を脱水して、
天日乾燥や室内の乾燥設備で乾かします。
乾燥が終わると注染の工程が完了です。