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奈良漆器

奈良漆器の歴史

奈良は日本の漆工芸発祥の地です。
仏教伝来を契機とした「天平文化」とともに花開き、
漆で絵を描いたもの、螺鈿、金銀平脱、平文など
多種多様な技法を自由に駆使して、
目の覚めるような美しい器物が作られました。
その頃の数多くの作品が、正倉院に収められています。
 


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中・近世にもその伝統は伝えられてきました。
中世になると、
塗師・漆屋座が南都に住んで、社寺に所属し、
建造物の塗師として活躍しながら、
器物としての漆器も制作していました。
また、茶の湯の発展とともに、
茶道具関係の塗師に名人上手が現れ、
江戸時代には、武具の塗師を職業とする人もいました。
 
 
近代以降の「奈良漆器」は、
天平時代を中心とする美術工芸品の粋を集めた
「正倉院宝物」との関わり抜きには語れません。
 
明治維新後、「廃仏毀釈」によって寺宝の流失が起こりました。
政府はその対策として、文化財保護の姿勢を打ち出し、
明治5(1872)年に、
各地でいわゆる「壬申検査」と呼ばれる調査を開始。
この調査により、「正倉院宝物」の中には
傷みが激しい品々が数多くあったため、
その修理と保存が行われるようになり、これは現在も続いています。
またここで、大量の模写や拓本が取られ、模造が制作されました。
 


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更に奈良においては、漆芸の産業化を図るため、
博覧会開催と宝物類の模写を目的に、
半公半民の「奈良博覧会社」が設立されます。
東大寺において「奈良博覧会」が開催されると、
正倉院宝物も出陳され、大変な人気を博しました。
 
この頃、修理や復元を通して
「奈良漆器」の名前を世に広めたのが、
春日大社や東大寺、興福寺の御用塗師を父に持つ
吉田立斎、北村久斎、吉田包春という「吉田三兄弟」です。
 
明治22(1889)年、「奈良博覧会」社内に工房「温古社」を設立。
正倉院宝物や奈良の古社寺の文化財の修復に従事するかたわら、
「密陀絵」(みつだえ)や「撥鏤」(ばちる)などの
失われた古代の工芸技術の復元を行いました。
 
そっして正倉院宝物の模造・模写、宝物を手本にした漆器を制作し、
「奈良漆器」と称して販売をすると、たちまち人気を博しました。
 
 
「吉田三兄弟」の一人、北村久齋(きゅうさい)を祖父に持ち、
「漆工品修理」選定保存技術保持者の北村大通(だいつう)を父に持つ、
北村昭斎(きたむらしょうさい)さんは、
「螺鈿」の重要無形文化財保持者いわゆる「人間国宝」です。
また、「漆工品修理」の選定保存技術保持者の二つの認定を受けて、
文化財の修復、復元模造の制作に加えて、
精力的な作家活動も行っていらっしゃいます。
 
現在、北村家の漆芸を受け継ぐのは、
息子の北村繁氏と娘の小西寧子(やすこ)さんです。
 
 

奈良漆器の特徴

華やかで精巧な正倉院宝物の漆器には、
夜光貝文様がきらめく「螺鈿」などの
非常に緻密で高度な技巧が凝らされています。
 
「螺鈿」とは、夜光貝、アワビ貝、チョウ貝などを 模様の形に切り、
桧木地に貼り、漆で埋めて研ぎ出すという、漆芸の加飾技法の1つで、
螺鈿塗の技法は、奈良の独壇場です。
現在、伝統的な「厚貝螺鈿技法」を主として、
硯箱、宝石箱、文箱などが作られています。