MENU

美の壺スペシャル「江戸前の味」

<番組紹介>
甘辛いタレの香りが食欲をそそる
絶品のうなぎ蒲焼
 
▽江戸創業・80年かけ編み出した
 究極の焼き色とは
▽豪快!船上で揚げる天ぷらの醍醐味
▽海の恵を丸ごといただく!
 創業138年の老舗天ぷら店の技に密着
▽木村多江が江戸の食文化を徹底調査!
 浮世絵に描かれた柳橋芸者に
 なりきっちゃう!?
▽江戸っ子が愛した蕎麦・
 通好みの楽しみ方とは
▽池波正太郎の粋な蕎麦の食べ方
▽食べる芸術・江戸前ずし
▽職人の粋と美学に迫る!
 
<初回放送日:令和5(2023)年7月26日>
 
 
 

美の壺1.「鰻:うなぎ」
五感をかき立てるタレと焼き

 

目黒不動尊近くの鰻屋の「鰻の蒲焼き」
(「八ツ目や にしむら 目黒店
・店主・松本清さん)


www.youtube.com

 
江戸時代から人々の信仰を集める
「目黒不動尊」(めぐろふどうそん)の目の前で、
お参りした人達が「鰻の蒲焼き」をお目当てに次から次へ訪れる老舗の鰻屋さんがあります。
 
大正15(1926)年に先々代の西村武次郎さんが
川魚料理の専門店を創業したのを始まりに、
昭和35(1960)年に現・店主の松本清さんの
御両親がのれん分けという形で
八ツ目や にしむら 目黒店」を開業しました。
にしむら」では、千住の川魚問屋「松本」から国産の最高級品を直接仕入れ、
大正時代から継ぎ足して作った秘伝のたれと
紀州備長炭で焼き上げた「鰻の蒲焼き」の
 
「江戸前の 風はうちわで たたき出し」と
川柳に詠われたように、「鰻の蒲焼き」は、
江戸時代から庶民を魅了してきました。
江戸の街には、至る所に鰻料理店があり、
隅田川や深川辺り獲れた上質な鰻を
「江戸前」と称してブランド化していました。
 
18世紀中頃から江戸で鰻は大人気となり、
「江戸前」と「それ以外」に大別され、
「江戸前」ではない鰻は「旅鰻」(たびうなぎ)
呼んで差別化するブランド化戦略が進みました。
 
また当時は、「棒手振」(ぼてふり)と呼ばれた
行商人が町中を担いで歩き、
「おい、頼む」と客に頼まれたら
箱から鰻を取り出し、その場で串に刺して焼き、「鰻の蒲焼き」の販売もしていたそうです。
 
 
江戸時代中期に活躍した
平賀源内(ひらが げんない)の提案により
「土用の丑の日」に「鰻の蒲焼き」を
楽しむという風習が始まったのもこの頃です。
(令和5年は7月30日。店頭販売のみです。)
 
 
「鰻の蒲焼き」は今でも庶民の御馳走です。
にしむら」では、多い日には、
1000枚もの蒲焼きが売れるのだそうです。
人気の秘密は「秘伝のタレ」です。
松本さんのご両親は、63年前に開業当初、
参拝客が店の前を素通りしそうになると
タレを炭の上にチャッとかけて
香ばしい香りを漂わせて、
お客さんの気を引いたそうです。
 
 
 この「秘伝のタレ」。
味の決め手は、江戸の頃に普及し始めた
「濃い口醤油」と「みりん」です。
濃厚で甘辛い味が江戸っ子を虜にしたのです。
このタレを浸けて焼き上げれば、香ばしく、
そのニオイもまた人々を引きつけました。
 
「お客様にジッと見られると緊張しますが、
 美味しそうに見えるように
 アピールしながら焼くことが
 美味しさに繋がるんじゃないかな」
とおっしゃっていました。
 
  • 住所:〒153-0064
    東京都目黒区下目黒3丁目13-10
  • 電話:03-3713-6548
 
 

麻布の老舗の鰻屋さん
野田岩 麻布飯倉本店」
(五代目店主・金本兼次郎さん)


www.youtube.com

 
 
野田岩(のだいわ)は、寛政年間の創業以来、
220年以上受け継がれてきた伝統の味で
多くのゲストを魅了し、
『ミシュランガイド東京』で
一つ星を獲得した老舗の鰻屋です。
 
5代目店主・金本兼次郎(かねもと かねじろう)さんは
昭和3(1928)年1月1日生まれ、御年95歳。
13歳で修行に入り、
20歳前後から鰻を焼き始め、鰻一筋80年以上。
今なお調理場に立ち伝統の技を伝えています。
 
 
金本兼次郎さんは、昭和32(1957)年に、
四代目の父の後を継いで以来、
下北沢・銀座・日本橋、更にはパリへと多店舗
展開を進めた他、鰻とワインという画期的な
マリアージュの提案や真空パック商品の開発など新しい試みを実現させ、平成19(2007)年、
厚生労働省の「卓越した技能者(現代の名工)」
に認定されました。
 
 
金本さんは、朝は4時に起きて、
4時半過ぎには仕込み作業を開始します。
蒲焼きの工程を見せていただきました。
鰻は「裂くのに3年、串打ちに3年、焼くのは一生」
と言われています。
まず最初に行うのは、生きたまま鰻を捌く
「裂き」(さき)の工程です。
江戸前の鰻は、背中から一気に開きます。
全身に血が回ると味が落ちるため、
素早くかつ丁寧に、
1本40秒程でどんどん裂いていきます。
 
 
次は「串打ち」(くしうち)です。
ふっくらと仕上げるため、
身を寄せ、厚さを出しながら串を打ちます。
 
 
次は「素焼き」(すやき)です。
担当は、市川正義さん。
鰻の脂は生臭さの素にもなってしまうため、
余分な脂を落とさなくてはいけません。
身と皮の間にある脂の層までしっかりと
焼きます。
表面は焦がさないように
うちわで扇ぎながら炭火の熱をコントロール。
串を載せると炭の位置は変えられないため、
鰻を動かしながら焼いていきます。
「素焼き」だけでは脂を落としきれないので、
せいろで蒸していきます。
担当は梅田恵三さんです。
 「素焼き」した後に蒸すのは、
関東の伝統的な方法です。
脂を落としながら身も柔らかくします。
およそ1時間蒸した後、梅田さんは一旦、
蒸し上がりの状態を1枚1枚チェックし、
硬いものはもう1回蒸し直します。
蒸し上がると、食べた時に箸で切れるぐらい、
豆腐ぐらいに柔らかい状態になります。
「蒲焼の関東と関西の主な違い」
<関東風> <関西風>
・背開き ・腹開き
・蒸す ・蒸さない
・鰻が小さい ・鰻が大きい
・白焼きで、
 皮側をよく焼く
・白焼きで、
 身側をよく焼く
・短い竹串 ・長い金串
・入荷があれば、
 天然物を扱う店も
・殆んど
 天然物は扱わない
 
 
崩れそうなほど柔らかく蒸し上がったら
いよいよ「本焼き」(ほんやき)です。
創業以来継ぎ足して使っているという
「秘伝のタレ」につけて焼いていきます。
金本さんがこだわっているのは色。
合計4回タレにつけて焼くのですが、
1回目で8割方色付けし、
タレにつけては焼きを繰り返して、
色を深めていきます。
絶対に焦がしてはいけません。
 
焼き上がったら、ほかほかのご飯に
秘伝のタレをたっぷりかけて、
その上に蒲焼きを溢れんばかりに敷き詰めて、特上の鰻重の出来上がりです。
 
しっとり滲みたタレと絶妙な焼き加減が
織り成すを黄金色。
ひと口頬張ると、柔らかな味が解け、
タレと調和した深い旨味が広がります。
食べる人にも、作る人にも愛されてきた
江戸前の味です。
 
野田岩 麻布飯倉本店
  • 住所:〒106-0044
    東京都港区東麻布1丁目5-4
  • 電話:03-3583-7852
 
 

美の壺2.「天ぷら」
海をサクっと味わう

 

屋形船でいただく江戸前の天ぷら
(漁師9代目・小島一幸さん)

 
「江戸前」とは、元々は「江戸城の前」、
つまり羽田沖から江戸川の辺りでしたが、
湾岸の埋め立てや開発などにより
「江戸前」の定義は徐々に拡大し、
現代では神奈川県三浦半島と房総半島の先端を繋ぐ範囲までが「江戸前」と呼ばれています。
それでも、東京の海「江戸前」が
今でも美味しい魚の宝庫であることは
変わりありません。
 
代々続く漁師の家に生まれた
江戸川の船宿「あみ弁」の9代目
小島一幸(こじま かずゆき)さんは、子供の頃より
お父様から数々の伝統漁法を教え込まれ、
「刺し網漁」や「あなご漁」など、
様々な漁法を駆使して東京湾の海の幸を
獲ってきました。
 東京湾では、スズキ、クロダイ、マゴチ、
メゴチ、コノシロ(コハダ)など、
季節毎にいろいろな魚が獲れるそうです。
 
 
「投網漁」(とあみりょう)とは、
魚がいそうなところを目がけて投網を投げて
魚を獲る深くから伝わる漁法です。
水深が比較的浅い場所にいる魚を獲ったり、
泳ぐのが速く手網などでは獲りにくい魚を
獲るのに有効です。
 
船を巧みに操る「舵子」(かじこ)
舳先(へさき)から大網を放つ「網打ち」(あみうち)
の二人三脚で行います。
目指すポイントに近づいたら、
タイミングを見計らって、
目一杯体を捻ねり、遠心力を使って、
直径14mの大網を放ちます。
掛かったのは、夏に旬を迎える「スズキ(鱸)」。
 
 
豪快で見応えのある投網の業は、
かつては「網船」(あみぶね)と呼ばれる
船の上で披露され、
獲れた魚はその場で客に振る舞い、
お土産として持って帰っていただくという
粋な船遊びでした。
 
1970年代後半より、いくつかの船宿さんが
釣り船を改装する形で屋形船を始め、
1980年代半ばには、バブル期と相俟って、
豪華で高級な遊びの屋形船は、
現代の大名遊びさながら人気となりました。
 
現在の屋形船には、エアコン、カラオケ、
水洗トイレなどの設備も整えられている他、
100人超の大型の船もあったりと
屋形船は進化を続けています。
 
小島さんが営む「あみ弁」の
屋形船の操舵室を覗いてみると、
なんと調理場がありました。
小島さんが船を止めて作り始めたのは
「天ぷら」です。
屋形船の数あるメニューの中でも
船内で調理するのは天ぷらだけだそうです。
 
 
小島さんは、透明感のある白身を厚めに切って
隠し包丁を入れて熱を通りやすくします。
新鮮な魚は水分が多く衣が剥がれやすいため、
打ち粉をまぶします。
 
 
波に揺れても、
こぼれる心配がない底の深い大鍋を使って、
江戸前のアナゴ、キス、メゴチなどを
揚げていきます。
多い時には60人前の天ぷらを揚げることも。
たっぷりの大豆油に、
ごま油をちょっぴり足して香づけするのが
小島さん流です。
この日、投網で取った「スズキ(鱸)」も
天ぷらにしていきます。
そして仕上げに、豪快に衣の花を咲かせます。
 
「揚げたての天ぷらをお出しするのは贅沢。
 昔の「網船」(あみぶね)は屋根がなかったので、
 空の下で食事をするは、
 ロケーションも相俟って、
 天ぷらはより美味しく感じたのでは。」
 
「江戸前」とは、子供の頃から慣れ親しんだ
地元の海だという小島さんでした。
 
 
 

東京の台所「豊洲市場」
(鮮魚仲卸「海老の浦井」浦井義之さん)


www.youtube.com

 
日本のファストフードのルーツでもある屋台。
寿司、鰻、蕎麦などの屋台と並んで
人気のあった「天ぷら」の立ち食い屋台では、串に刺した「天ぷら」がおやつ感覚で
食べられていたそうです。
江戸前としてもてはやされたのは、
もっぱら海の幸を揚げたもので、
薄い衣で、味も風味を残す程度にして、
天つゆをつけて食べるスタイルでした。
 
江戸に魚河岸が誕生してからおよそ400年。
日本各地から選りすぐりの魚介が集まる
東京「豊洲市場(とよすしじょう)には、
500近くの水産仲卸業者がいて、
まぐろのプロ、うにのプロ、海老のプロなど、
あらゆる魚に専門的な知識を持つ
プロフェッショナルが存在します。
そんな中で、天ぷら屋さん専門の
魚介を扱うのが「海老の浦井」です。
 
取り扱うのは、海老は勿論、
江戸前天ぷらの定番・鱚(きす)に穴子、
メゴチ、イカ、など、
天ぷら屋さん向けの明るい商材が
取り揃えられています。
 
「天ぷら」に相応しい魚を、
五感を使って選り分けるのは、
社長の浦井義之さんです。
まずは大きさ。
次に触った時の身の柔らかさ。
身がしっかり締まっている方が
ふわっとキレイに揚がるのだそうです。
 
海老の浦井
  • 住所:〒135-0061
    東京都江東区豊洲6丁目5番1号
 
 

「江戸前の天ぷら」
老舗江戸前天麩羅店「てん茂
(4代目・奥田秀助さん)

浦井さんの目利きの技を信頼して
やって来たのは、日本橋にある
明治18(1885)年創業の江戸前天麩羅の名店
てん茂」の4代目・奥田秀助(おくだ しゅうすけ)さんです。
奥田さんは、良いものを仕入れないと
お客様に良いものを出せないと
仲買人と直接顔を合わせて、
その時その時の最適な魚を仕入れています。
 
江戸前天ぷらの特徴は、
揚げ油にごま油を用いるところにあります。
江戸前で獲れた魚には、背の青い魚が
比較的多いため、そのクセを消すために、
香りの強い胡麻油が必要だったのです。
 
 
てん茂」でも、創業以来、
江戸前天ぷらの伝統を守り、
煎って芳ばしくした白胡麻を絞った
風味の良い油を惜しみなく使って揚げます。
長年愛用しているのは、『岩井』の青缶。
胡麻の香りと風味が良く、酸化しにくく、
高温にも耐えられるため、
油の切れが良いためです。
 
油の温度が上がっていく間に、
卵と冷水をよくかき混ぜ、薄力粉を合わせて、衣を準備します。
長年の経験から、表面を見るだけで
油の温度が分かるという奥田さん。
油の変化に目を凝らしながら、
最適な温度になるのを待ちます。
 
 
まずは、江戸前天ぷらの代表格「穴子」(あなご)
専用の包丁でキレイに身を二等分して
揚げていきます。
天ぷらは揚がるにつれて
水分が抜けて軽くなるといいます。
その微妙な変化を箸先で感じ取りながら
揚がり具合を判断し、サクサク感を強くしつつもふんわりと揚げていきます。
 
揚げたてをすぐに味わえるのが
カウンターの醍醐味。
衣はカラリ、中の身はふっくらとした
穴子の天ぷらを自家製の天つゆでいただきます。
 
 
江戸前の天ぷらに欠かせない「鱚」(きす)は、
旨味を閉じ込めるために、
一度開いて骨を抜いたら、元の形に戻して
身を合わせて揚げるのが「てん茂」流です。
 
鍋から聞こえる音の変化も、
出来上がりを判断する大切な要素。
耳を澄ませて、その時を待ちます。
海の貴婦人とも呼ばれる
「鱚」(きす)の美しい流線形をそのままに、
ふんわりと。
素材の良さを最大限に引き出す
江戸前の技です。
 
「使っている材料も単純で
 やっていることも同じことですが、
 何回も何回も繰り返すことによって
 感覚が分かってくる」
 
繰り返すことでしか習得出来ない味を
奥田さんは今、息子の陽助(ようすけ)さんに
伝授しています。
 
「言われた通りにやるだけではなく、
 何度も繰り返しやってみて
 自分で見極めて感じ取らないとダメ。」
 
日々の積み重ねが、
江戸前の技を今に伝えてきました。
 
「『江戸前の天ぷら』と言っても、
今は東京湾で獲れたものだけでは
数が少なくて商売が成り立たない。
それでも、地味だけども
しっかりした仕事をする」
 
江戸の伝統を受け継いでいる奥田さんでした。
 
  • 住所:〒103-0023
    東京都中央区日本橋本町4-1-3
 
 
 

美の壺3.「蕎麦」
クイッと飲んでツルッといただく

 

日本食文化史研究家・
デビッド・コンクリンさん

 
江戸の頃から人気の観光名所、東京・浅草。
今も世界中から人々が訪れます。
 
日本食文化研究家で和食コンサルタントの
デビッド・コンクリン(David Conklin)さんは、
江戸下町グルメツアー
「Food Adventures Japan」
(フードアドベンチャーズジャパン)を主宰し、外国人観光客に江戸前の味の魅力を伝えて
います。
 
この日の目当ては「蕎麦」(そば)
コンクリンさんは、浅草の老舗蕎麦屋
丹想庵 健次郎(たんそうあん けんじろう)
外国人観光客を案内しました。
 
海外で「蕎麦」を知っている人は、
寿司などと比べるとまだ少ないため、
ツアーの参加者の中には、
「蕎麦」が初めてという人もいます。
「蕎麦は音を立てて、すすって食べる」
と教えるコンクリンさん。
 
16年前に米国から日本に来たコンクリンさん、自ら手打ちで作るほどの蕎麦好きだそうです。
コンクリンさんの蕎麦の楽しみ方は、
蕎麦を食べる前に飲む「日本酒」。
蕎麦を食べ歩くうちに、
店々の常連客から教わったそうです。
 

そばと酒
蕎麦屋「丹想庵 健次郎」
(店主・鈴木健次郎さん)


www.youtube.com

 
「裏観音」と呼ばれる奥浅草の裏路地に佇む、
丹想庵 健次郎(たんそうあん けんじろう)は、
山形県天童市の蕎麦打ち寺で蕎麦を修行した
鈴木健次郎(すずき けんじろう)さんが
平成21(2009)年開業した蕎麦屋です。
 
天候や素材の状態を見極めて厳選した
国内産最上級の玄そばを石臼で丁寧に挽き、
毎日手打ちして、打ちたての蕎麦を提供して
います。
 
丹想庵 健次郎」でも豊富に揃えた日本酒や
季節の食材で作る趣向を凝らした酒のつまみも
楽しみのひとつです。
色とりどりの小鉢には、
どれも酒に合うつまみがよそってあります。
 
初夏の訪れを知らせる「小鮎の天ぷら」。
蕎麦の実を合わせた味噌を香ばしく焼いた
「蕎麦焼き味噌」。
どれにしようか迷いながら、
蕎麦を待っている間の時間を楽しみます。
 
 
蕎麦屋にサッと入ってきて、
蕎麦が出てくる間、酒と肴を楽しんで、
〆に冷たい手打ち蕎麦・・・
これが江戸っ子の蕎麦屋の過ごし方です。
ほろ酔いで味わう江戸風の蕎麦の楽しみです。
 
  • 住所:〒111-0032
    東京都台東区浅草3丁目35-3
  • 電話:03-5824-3355
 
 

更科そばの酒のあて
「総本店 更科堀井」
(店主・堀井良教さん)


www.youtube.com

 
江戸っ子は大の「蕎麦」好き。
江戸のそこかしこに蕎麦屋があり、
幕末には今と同じようなメニューが
提供されていたと言います。
そこでは、「蕎麦」だけでなく、
酒も楽しんでいました。
 
江戸そばの御三家「更科」「砂場」「藪」。
どの系統も1軒の蕎麦屋から始まり、
兄弟や親戚、弟子などが暖簾分けをして
広がったそうです。
 
「更科そば」の誕生には諸説ありますが、
長野県がルーツとされています。
信州出身の堀井清右衛門が、江戸の街に
「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」の
看板を掲げたのが始まりとされています。
その暖簾を継ぐのは、創始者の直系に当たる「総本家 更科堀井」「永坂更科 布屋太兵衛」
です。
「更科そば」は、そばの実を挽いた際に、
一番最初に出てくる胚乳の中心部分のみを
集めたものであり、色のついた甘皮が混ざらないため、純白のそばです。
そばらしい香りが少ない一方で、ほのかな
甘みがかった味わいと、繊細な喉ごしを
楽しむもので、つゆも淡く甘めです。
 
 
江戸の食文化を今に受け継ぐのが、
東京・麻布十番にある蕎麦屋の名店、
総本家 更科堀井(そうほんけ さらしなほりい)
です。
 
寛政元(1789)年創業のこの店の名物は、
高級感溢れる白さが特徴の蕎麦粉で打った
「更科そば」です。
たっぷりのお湯で茹でると透明感が出て、
より白さが際立ちます。
口に入れれば、ほんのりと甘い「更科そば」。
喉越しと一緒に味わいます。
 
 
更に酒も楽しみたい人のために、
名物の蕎麦と並んで、
酒のあてが名を連ねています。
 
 
9代目の堀井良教(ほりい よしのり)さんは、
「昔の文献にも、『上酒』(じょうしゅ)という
 メニューがあるくらい、蕎麦屋では
 結構良いお酒を揃えていたんじゃないか」
とおっしゃいます。
 
そして、
「かまぼこや卵などの有り合わせで
 ”あて”を作り、
 お酒を召し上がっていただく。
 あるものを上手く応用しながら、
 お酒も楽しんでいただくというのが
 蕎麦屋のあり方っていうかスタンスです」
 
総本家 更科堀井」では、酒のつまみは、
「そばつゆ」を上手に使い回して作ります。
 
「そばつゆ」は、単純に砂糖と醤油を溶かしたものではなく、「かえし」という予め調味した醤油を使います。
「かえし」は出来上がった醤油を
再度、煮返すことから出来た言葉です。
醤油を加熱することにより、
強い香りとトゲトゲしい醤油の塩気が
まろやかになります。
 
江戸風の「そばつゆ」は、出汁を濃く取ることで
「塩なれ」という性質を利用して、
醤油の塩気を抑えて、
旨味を引き出しているのが特徴です。
 
総本家 更科堀井」でも、味に深みを与える
鰹の本枯れ節で取った出汁を30分程煮出して
金色に染まった濃い目の出汁を使っています。
そこに濃い口醤油と砂糖を予め煮て寝かせた
「かえし」に煮切ったみりんを加えてコクと
甘みを出します。
これを更に2日寝かせ、味がまろやかになれば完成です。
これを”つまみ”に活かします。
 
まずは月見そばの「卵」を味付けします。
そばつゆや鰹出汁で味をつけ、
専用の鍋に流し込んで強火で焼き上げれば、
甘くてふわふわ、濃いめの出汁が滲み出る
「卵焼き」の出来上がりです。
日本酒に合う定番のつまみです。
 
「かしわそば」に使う鶏のもも肉は、
そばつゆの「かえし」を使った甘辛いタレで
味付けします。
鳥のもも肉をじっくりと焼いて、
色づいたらまたタレの中に入れ、
これを更に焼き上げると飴色に照り輝く
「鳥焼」(とりやき)の完成です。
 
「江戸前の味というのは、
 お醤油と濃い目の出汁から出来ています。
 凄くバランスの良いものなので
 そのままおつまみにも使います。
 甘辛い味、それを”あて”に
 お酒を召し上がっていただく。
 そんなのが蕎麦屋だったんじゃないかな」
と堀井さんはおっしゃってました。
 
 
  • 住所:〒106-0046
    東京都港区元麻布3-11-4
  • 電話:03-3403-3401
 
 

池波正太郎が愛した蕎麦屋
神田 まつや本店

 
明治17(1884)年創業の「神田 まつや本店」は、
池波正太郎が愛した蕎麦屋として有名です。
江戸を舞台に数々の時代小説を書いた
作家・池波正太郎は食通で知られ、
食をテーマにしたエッセイも残しています。
勿論、蕎麦も大好物。
池波は「神田まつや」に足繫く通い、
端にある席を好んで座ったそうです。
 
 
池波が味わったのは、兵庫・灘の清酒。
一緒に出される蕎麦味噌を舐めながら、
お燗をちびりちびりと楽しんだそうです。
 
 
肴はシンプルに、
かまぼこにわさびを添えた「板わさ」とか、
磯の香り漂う「焼き海苔」。
何を食べるかは、その日その日の気分次第。
 
 
そして締めは勿論、蕎麦。
ほろ酔いで楽しむ蕎麦の味は、
東京の下町で生まれ育った池波にとって
親しみ深いものでした。
 
  • 住所:〒101-0041
    東京都千代田区神田須田町1-13
  • 電話:03-3251-1556
 
 

美の壺4.「寿司」
手早く粋に

 

立ち食い寿司
鮨 銀座おのでら登竜門
(総料理長・坂上暁史さん)


www.youtube.com

 
東銀座の歌舞伎座前の路地を入ったところに、今話題の江戸前寿司の店があります。
ミシュラン1つ星の寿司店
銀座おのでら」が仕掛けた立ち食いの店
 
令和4(2022)年4月23日にオープンした店内は、カウンターのみ。
注文した寿司を立ったままいただく
「立ち食いスタイルの寿司の店」です。
 
流れるような切れ目に煮切り醤油が滴る
「マグロのトロ」。
銀の背に桜色の身をのぞかせる「アジ」。
立ち食いだからと言っても、決して侮れない
丁寧な仕事が1貫ごとに施されています。
 
鮨 銀座おのでら登竜門」の総料理長、
坂上暁史(さかがみ あきふみ)さんによると、
江戸前寿司が登場したのは、江戸時代後期。
下拵えした江戸前の魚を手早く握った寿司が
手軽なファストフードとして
屋台などで売られました。
江戸の職人は忙しく、屋台でサッと立ったまま食事を取るのが日課でした。
そのため、屋台での寿司の立ち食いスタイルは
江戸前寿司の原点だと言います。
 
またこちらの立ち食いの寿司店は、
若手職人達の修行の場としての役割も
あるそうです。
世界に出店することを目標にしている
銀座おのでら」では、
実力のある後進の育成にも注力しています。
これまでの寿司店では、
「先輩から見て学ぶ」ことが主流で、
実際にカウンターに立って経験を積むことは
後回しにされる傾向にありました。
 
若手職人もカウンターに立って
接客しながら経験を積む機会が持てる
お店を作ることで、若手職人の研鑽と
リーズナブルで旨い寿司の提供の
2つを同時に満たす
「お客様に育てていただく鮨店」なのです。
 
「忙しい中でも仕事に集中して、
 立体感のある躍動感のある寿司を作ること。
 何組のお客さんを気遣いながらも、
 丁寧な仕事をすること。
 そこ言葉はないかもしれませんが、
 何か最後に心通ずるものがあれば
 ”粋”を感じる時じゃないでしょうか」
と坂上はおっしゃいます。
 
 
  • 住所:〒104-0061
    東京都中央区銀座5-14-17
    銀座USB1階
  • 電話:050-3204-0718
 
 

地元民に愛される鮨店
深川すし 三ツ木
(店主・三ツ木新吉さん)


www.youtube.com

 
深川不動の程近くにある「深川すし 三ツ木」は
地元の人々に愛される江戸前寿司の店です。
山本一力さんの小説『銀シャリ』の
モデルとしても有名な店主の
三ツ木新吉(みつぎ しんきち)さんは、
老舗「京橋与志乃」吉祥寺支店での修行を経て、
昭和45(1970)年に「深川すし 三ツ木」を創業。
三ツ木さんの握る正統派の江戸前鮨は
ご近所の常連客はもとより、
世界中にファンがいるほどです。
 
 
お客さんと深川のお祭りの話を弾ませながら、
寿司をテンポよく振る舞う三ツ木さん。
握った寿司は「つけ台」と呼ばれる
漆塗りの台へ置く昔ながらのスタイルです。
昭和の頃から変わらないショーケースの中に
ある寿司種からも、三ツ木さんの
丁寧な仕事ぶりを見ることが出来ます。
 
 
江戸前寿司は「仕込み」が命と言われています。
まずは「こはだ」。
「こはだ」は、身が薄くて水っぽく
小骨も多いため、煮ても焼いても食えないと
言われてきた魚です。
それでも江戸前寿司職人達は、
この「こはだ」に心血を注いできました。
三ツ木さんも1番真剣になるという
「こはだ」の仕込みを見せていただきました。
 
 
まず小骨をキレイに取り除いたら、
次は塩で締めて身の余分な水分を取ります。 締める時間は、板前さんの好みにより
10分から20分。
江戸時代は2時間位つけたのだとか。
身が締まったら、次は酢に漬け込みます。
そうすることで、旨味がじっくり引き出され、
残った小骨も柔らかくなります。
鮮やかな銀色は職人の手間の証しだそうです。
「こはだ」がいっぱしの寿司種に変身しました。
 
 
天ぷらでもお馴染みの「穴子」(あなご)は、
濃い口、醤油、みりん、砂糖を加えて
煮ていきます。
コトコトと踊るような火加減で
煮ることおよそ20分。
穴子の長さにしつらえたお手製のヘラで
優しく取り出します。
 
 三木さんは、季節季節で15種類程の寿司種を用意しています。
魚毎に異なる仕込みを
限られた時間の中で手早くこなします。
「職人はダラダラ仕事やっちゃいけない。
 立ち振る舞いは何をやっていても
 かっこよく」
と昔よく言われたそうです。
 
 
寿司種がカッコ良く決まったら、
握りもカッコ良く。
左手に寿司種、右手に酢飯。
ものの10秒もかからない早業です。
ただ速いだけではありません。
指の位置や曲げたら、
具材を瞬時のうちに定めて、
立体的に形作っていきます。
酢飯の上の寿司種が
緩やかに曲線を描いています。
三ツ木さんが大切に守ってきた
江戸前寿司の伝統の形です。
修行時代、自ら親方が握ったお寿司から
木型を作って、手に覚え込ませたそうです。
 
三ツ木さんには、もうひとつの顔があります。
和竿師「新治」です。
カウンターの後ろには、自作の江戸和竿が
整然と一文字で掛けられていて、
釣り番組にも出演するほどです。
休みの度に釣り船で、東京湾に繰り出し
旬の魚を狙います。
 
この日釣り上げたのは、
料理人の間でも人気が高い江戸前の魚
(きす)です。
お店に持ち帰って、料理してお客さんに提供。
お客さんたちも喜んでくれました。
 
  • 住所:〒135-0047
    東京都江東区富岡1丁目13-13
  • 電話:03-3641-2863
 

f:id:linderabella:20210513110059j:plain