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美の壺「心を癒やす宿」<File 581>

<番組紹介>
多くの文人に愛された修善寺温泉の老舗旅館
 
 ▽一万坪の敷地に広がる日本庭園の美
 ▽池に浮かぶ能舞台で日本文化の粋を堪能!
 ▽秋田・別世界へいざなう圧巻の吹き抜け
 ▽80人の大工が技を競った木の建築
 ▽兵庫・城崎温泉には
  名工が手掛けた数寄屋の宿
 ▽伊豆長岡温泉・名匠の技が光る
  極上の客室
 ▽石川・囲炉裏を使った
  野趣あふれる料理に舌鼓
 ▽滋賀・美食家が集う宿
 ▽華やかに進化する郷土料理の味わい!
 
<初回放送日:令和5(2023)年6月7日>
 
 

美の壺1.別世界
日常をはなれ 酔いしれる

 

池に浮かぶ能舞台
(静岡県 修善寺「あさば」女将・浅羽魅咲さん)


www.youtube.com

 
伊豆最古の温泉「修善寺温泉」は、
夏目漱石、井伏鱒二など多くの文人墨客に
されたことでも知られる温泉街です。
 
地名の由来にもなっている古刹「修善寺」
(正式名称:福地山修禅萬安禅寺ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)は、
平安時代初期の大同2(807)年、
弘法大師の開基と伝わっている寺院です。
 
弘法大師が修善寺川(通称:桂川)で
病身の父の身体を清める少年の姿に感じ入り、
独鈷(とっこ)で岩を突いて温泉を噴出させたと
伝わっています。
病気の父は温泉の力で元気を取り戻し、
地域に湯治の文化が根付いたそうです。
 
 
桂川の川沿いには風情ある温泉宿が
軒を連ねています。
街並みを抜けると、一際威厳を誇る門構えの
老舗旅館「あさば」があります。
修善寺温泉で530余年以上続く
日本の伝統文化を堪能出来る老舗旅館です。
 
正面の門には、
和の風格漂う唐破風(からはふ)の屋根に
春の訪れを祝う梅の彫刻が施されています。
 
門を潜ると、山間の約1坪の敷地の中に
日本庭園が広がります。
滝、池、竹林などが
背景の山々の自然と見事に調和し、
まるで別世界に訪れた雰囲気です。
そして広大な敷地には、数寄屋造りの母屋や
離れが点在しています。
 
あさば」は、500年程前の室町時代(1489)、
修善寺に仕えた初代・浅羽弥九郎幸忠が
寺の門前に開いた宿坊より始まります。
 
日本庭園の中には、水と緑に囲まれた
能舞台「月桂殿」があります。
旅館の座敷やテラスを見所(客席)として、
広い池越しにこの舞台を眺められるように
なっています。
 

www.asaba-ryokan.com

 
あさば」の女将・浅羽魅咲(あさば みさ)さんに
なぜここに能舞台があるのか伺いました。
 
旧・大聖寺(だいしょうじ)藩の最後の当主、
前田利鬯(まえだとしか)子爵が
東京・深川の「富岡八幡宮」に寄進したものを
明治時代後期に移築したものです。
能を嗜んでいた7代目当主の浅羽保右衛門が
お客さまに親しんでもらいたい一心で、
本物をわざわざ運ばせたそうです。
お台場から伊豆の港まで船で運び、
そこから馬車で運び、
何と3年も掛ったそうです。
 
 
この能舞台「月桂殿」舞台では、
今も能や狂言が上演され、
極上のひと時を提供しています。
日が暮れ、演者が舞を始めると、
音が背後にある山に反響して、
何とも幻想的な世界が広がります。
 
水と木々に囲まれ、日本文化の粋を味合う
極上のひと時を過ごして欲しいと
浅羽さんはおっしゃっていました。
 
  • 住所:〒410-2416
    静岡県伊豆市修善寺3450-1
  • 電話:0558-72-7000
 
 

秋田県小坂町「十和田ホテル」(ホテル支配人・村木一彦さん)

 
秋田県小坂町の「十和田ホテル」は、
昭和14(1939)年6月、十和田湖西湖畔の高台に
建てられたクラシックホテルです。
 
地元の天然「秋田杉」を使い、
北東北の宮大工80名で造られた本館は、
増築や修復を経て、平成15(2003)年には
本館一棟が「登録有形文化財」となりました。
 
当初は翌年に開かれる予定であった
「幻の東京オリンピック」を前に、
訪日観光客の宿として
政府の要請で建てられたホテルの一つでしたが
国際情勢の緊迫などでオリンピックは中止に。
その後も数々の苦難を乗り越えながら、
湖と共にこの地の歴史を見つめてきました。
 
 
十和田ホテル」の建物は
日本三大美林の天然・秋田杉の巨木を
巧みに配した木造三階建てで、
外観は、欧風のログハウスのようですが、
中へ入ると一変、和の設えが目を引きます。
 
十和田ホテル」は建築当時、
秋田・青森・岩手の三県から宮大工80名を集め、
技術を競わせたと伝えられています。
 
内部空間で最も特徴的とも言えるのが、
吹抜を持つ玄関ホールです。
玄関に入った瞬間から、
日本の和風の技術を見せたいとの思いから、
80名の宮大工により、贅の限りを尽くて
作られています。
 
「欄間」は、細い木を幾何学文様に
組み立てられています。
「天井」は、同じ直径の杉丸太を2重の竿縁にして、杉皮を張って丈夫に作られています。
吹抜まわりの「杉丸太柱」は、
樹齢65年から85年のもの。
玄関正面の「ブナの皮付柱」は、
樹齢約100年の大樹です。
更に玄関の踏込板は「欅」を用い、
土間の石畳には十和田湖畔の石が
敷き詰められています。
 
 
2階に上がると、十和田湖を望むことの出来る
客室が21部屋あります。
客室はそれぞれ別の宮大工が担当をし、
床の間、天井、格子戸などの意匠も
一つ一つ異なり、それぞれが違った趣と表情を
見せています。
更に、どの客室からも十和田湖を眺望することが出来、あたかもホテルの庭であるかのような
佇まいとなっています。
 
支配人の村木一彦さんによると、
リピーターのお客様は、
毎年、毎回、趣の違う部屋に泊まり、
部屋の建築を感じられるそうです。
木の文化を伝えたい職人の思いがこもった
空間です。
 
 
  • 住所:〒018-5511
    秋田県鹿角郡小坂町十和田湖西湖畔
  • 電話:0176-75-1122
 
 

美の壺2.至福の時を生む 匠の技

 

兵庫県・城崎温泉「西村屋
(7代目当主・西村 総一郎さん)

 
開湯1300年の歴史を持つ
兵庫県豊岡市城崎町にある
「城崎温泉」(きのさきおんせん)は、
「有馬温泉」「湯村温泉」とともに
兵庫県を代表する温泉です。
 
江戸時代創業の「西村屋」は、
庭園を囲んで部屋がある、
典型的な日本旅館です。
 
昭和35(1960)年建設の、
別棟の「平田館」や
露天風呂付特別室「観月の間」は、
数寄屋建築の巨匠・平田雅哉氏により
建てられたものです。
 
平田は、料亭や茶室、
大観荘やつるやなどの旅館など、
400に及ぶ数寄屋建築を手掛けました。
 
格天井に銘木を使った床の間、
部屋は、高床式で作られています。
縁側は見下ろすような形で開放的です。
 
部屋にも、数々の技が凝らされています。
障子の組子が交わる部分に装飾を施し、
格子には横にアクリル棒を使って、
軽やかで美しい仕上がりになっています。
 
7代目当主の西村総一郎さんに
お話を伺いしました。
 
「建てられてから60年を経た今も
 輝きを失っておらず、
 お客様が清々しい気持で
 時間を過ごして欲しいという
 平田雅哉の思いが込められている」
 
部屋の欄間の装飾は、
仕事の合間に平田が彫ったものもあります。
いろんなしきたりや決まりごとを熟知した上で
遊び心が加えられていて、
お部屋に安らぎを与えています。
 
西村屋本館
  • 住所:〒669-6101
    兵庫県豊岡市城崎町湯島469
  • 電話:0796-32-2211
 
 

伊豆長岡温泉にある「三養荘」
(建築家・西塚 保遠さん)


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沼津に程近い中伊豆に「伊豆長岡温泉」にある
三養荘(さんようそう)は、
京都の庭師・小川治兵衛によってつくられた
3000坪の日本庭園の中に建てられた
昭和4(1929)年に、旧三菱財閥の創始者・
岩崎弥太郎の長男・久彌の別邸です。
瀟洒な数寄屋造りの和風建築は、
平成29(2017)年に、国の登録有形文化財に
登録されています。
 
戦後に所有者が変わり、昭和22(1947)年より、
プリンスホテルが旅館「三養荘」として15室にで営業を開始しました。
因みに「三養荘」という名前は、
岩崎家が家訓としていた、
北宋の政治家・蘇東坡(そとうば)
「三養訓」に由来するもので、
岩崎家の別邸当時から呼ばれていた名称を
そのまま継承しています。
 
安分以養神
分をわきまえて、精神を安定させること
 
寛胃以養気
胃を楽にして、心身の元気を養うこと
 
省費以養財
無駄遣いをやめて、財産を作ること
 
その後は、本館や離れを増築したり、
明治時代の東京市長を務めた後藤新平の
田舎屋「狩野川」を移築して、
「バー」にするなどしてきました。
 
ほとんどの客室が離れ風の造りになっており、
広い日本庭園を囲むように42000坪の敷地に
配置されています。
この広大な敷地の中に
「本館」と「新館」があり、
そのほとんどが平屋タイプの客室です。
 
「新館」は、昭和63(1988)年に、
近代建築の巨匠・村野藤吾(むらの とうご)
設計によって誕生した、桂離宮をイメージして設計された数寄屋造りの建築です。
離れ形式の客室を巧みに廊下で繋いだ造りを
始め、照明や装飾など隅々までに様々な意匠が
凝らされています。
 
この新館は、村野藤吾氏が
90才を過ぎてからの作品であり、
残念ながら村野は完成を見ることなく
他界しましたが、後継者が
平成5(1993)年に新館最後の建物を
完成させました。
 
自然の地形を生かした造りが特徴で、
平屋であるにも関わらず階段があり、
離れを基本に廊下で繋ぐなどの
豊かな意匠を備えています。
 
後継者の一人、西塚保遠さんによると、
村野は、建築が表に出ると
サービスが隠れてしまうと言い、
部屋で過ごす客の印象にこだわったそうです。
たとえば、障子の桟(さん)が太いと
光が入って影が出てしまうため、
障子の組子を5.5㎜にまで細く。
更に強度を保つため2本の木で支えています。
 
細やかな工夫が
柔らかな空間を生み出しました。
村野藤吾の優しさが
あちらこちらに見え隠れしています。
 
  • 住所:〒410-2204
    静岡県伊豆の国市ままの上270
  • 電話:055-947-1111
 
 
 

美の壺3.忘れえぬ 記憶を求めて

 

石川県白山市「和田屋」
(女将・和田智子さん、旅館料理長・関直斗さん)


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石川県白山市にある
全国三千余社の白山神社の総本宮
白山比咩神社(しらやまひめ)のお隣で、
料理旅館「和田屋(わたや)は、
江戸時代の終わり頃、
料理屋として創業しました。
時間を気にせず、
酒や食事や会話が出来るように
泊まる部屋を用意したことことから、
旅館業が始まりました。
 
和田屋」の自慢は、
囲炉裏を使った野趣溢れる料理です。
全てのお部屋には囲炉裏が設置されていて、
6月~10月は、清新爽涼の姿の香魚「鮎」、
10月~5月は川魚の王様「岩魚」を
料理人が囲炉裏の炭火でじっくりと焼いて
くれます。
 
料理長の関直斗さんは、
囲炉裏が客室にあるお蔭で、
焼いている途中の香りや音が
直接お客様へ届けられ、
料理人と客の距離が縮まり、
楽しいひと時だとおっしゃいます。
 
女将の和田智子さんは、
2代、3代と繋がっているお客様も多く、
子供の頃にお爺ちゃんの膝で
岩魚の塩焼を食べた思い出を語って下さる方も
いらっしゃるそうです。
 
  • 住所:〒920-2114
    石川県白山市三宮町イ55-2
  • 電話:076-272-0570
 
 

滋賀県長浜市「徳山鮓」
(店主・徳山 浩明さん)


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徳山鮓(とくやますし)は、
滋賀県の余呉湖(よごこ)の畔に佇む、
宿泊施設とレストランが一体になった
オーベルジュのお店です。
 
店主の徳山浩明さんは、ジビエや山菜など、
余呉湖の周辺で採れる季節のものを
使用しています。
この日も漁に出て鰻を獲り、1匹まるごと炭火で焼いて、山椒を効かせました。
 
徳山さんが、是非味わって欲しいと言うのが、
「熟鮓」(なれずし)です。
 
 
「熟鮓」は寿司のルーツと言われ、
日本最古の発酵食でもある、
滋賀県の代表的な料理です。
塩漬けした魚と米を漬け込み発酵させたもので
発酵が進むにつれて「馴れる/熟れる」ことから「なれずし」と呼ばれています。
 
 
滋賀県では、ウグイ、ハス、モロコ、アユ、
ハイ、ビワマス、コイ、ドジョウなどが
「なれずし」にされますが、
ニゴロブナを塩漬けにした「鮒鮓」(ふなずし)
その代表格です。
 
ただ「鮒鮓」(ふなずし)は独特なニオイがあり、
苦手な人が多いですよね。 酸味も美味です。徳山さんは、なれずしの印象を一新させます。
 
 
店主の徳山さんは、京都の老舗料亭
「河しげ」で腕を磨きました。 
余呉湖半の国民宿舎「余呉湖荘」に
料理長として招聘され帰郷した折、
発酵博士で知られる小泉武夫氏に薫陶を受け、
「和食の味を左右するものは全て発酵」だと
開眼。
試行錯誤の末、伝統的なそれとは一線を画す
上質なチーズのように旨味が凝縮した
「鮒鮓」を完成させました。
そして、平成16(2004)年に、
生まれ育った場所に「徳山鮓」(とくやますし)
オープンしました。
 
山菜をあしらい、
自家製はちみつソースをかけ、
フレンチのようです。
その他も近江の食材を生かして
斬新で様々な料理を作ります。
 
徳山さんは、初めてのお客さまでも、
地元の料理を理解してもらえるようにと考え、
メニューにしているそうです。
宿ができて20年が経ちました。
徳山さんの思いは、これからも料理を通じて、
人が人を呼び語り継がれていきます。
 
徳山鮓
  • 住所:〒529-0523
    滋賀県長浜市余呉町川並1408
  • 電話:0749-86-4045
 

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